
今回は、マーケティングパートナー株式会社代表取締役社長、権田真司様にお話を伺います。権田社長、よろしくお願いいたします。
ペット事業の内容
マーケティングパートナー(MPC)は物流大手SBSホールディングスの100%子会社です。
このSBSホールディングスが倉庫を持っていて、「マーケティングをやりたい」と考えたときに何が適しているか検討した結果、ペットフードに注目しました。
なぜかというと、ペットフードは消費が早く、倉庫の回転が良いからです(笑)。
実はマーケティングパートナーは当初、SBSのコールセンター部門として立ち上がったため、ロゴの「M」は電話線をイメージした筆記体でした。
1998年ペット事業を始めた当初は、電話によるカタログ販売からスタートしています。
そのとき私はまだ在籍していませんでしたが、セレクトショップ形式で国内外のペットフードを取り扱っていました。
当時はペットに残飯を与えることも多かったのですが、ペットが長生きするにはきちんとした食事を与える必要があると考え、アメリカやヨーロッパから輸入したセレクト品を販売しました。
2000年に「POCHI」というインターネットサイトを立ち上げ、これが創業の始まりです。おそらく楽天さんよりも早いタイミングでの開始でした。
当初POCHIサイトでは猫用品も扱っていましたが、2014年のリニューアル時に猫専門サイト「tama」を立ち上げました。
同時に犬猫両用の「John&Coco」というサイトも開設し、こちらは楽天とYahooに出店しています。
現在、POCHIは自社サイトと楽天・Yahoo、tamaは自社サイトと楽天、John&Cocoは楽天・Yahoo、さらにAmazonを合わせて、計8つのECサイトで販売しています。
加えて一部ペット卸販売会社やペットショップにも卸しており、合計9サイトを運営しています。
商材はペットフードに特化し、「ペットウェルネス事業部」として展開しています。
セレクト販売から始まりましたが、徐々に自社製品開発へシフト。
最初はおやつやウェットフードから、ドライフードの製造は2016年から開始しました。
現在は自社オリジナルフードが過半数を占め、ペットフードメーカーとしての側面も強まっています。
簡単に言えば、ユニクロのペットフードEC版のようなイメージです。
自社で工場は持たず、OEM工場に製造を依頼しています。
国内には100社ほどの接点があり、海外の工場や輸入先も複数あります。
2014年にはカナダ・ペットキュリアン社からNOW Fresh、GO! Solutionを直接輸入するための子会社「カナディアンペットニュートリション」を設立。
当初はカナダ限定の輸入でしたが、2015年に「インターペット」イベント出店し、取扱商品が拡大しました。
シンガポール、タイ、ニュージーランドなどからの輸入も行い、2015年末に「グローバルペットニュートリション(GPN)」に社名変更しました。
オランダのSANIMED(サニメド)を動物病院専売ルートで販売開始したのは、2016年6月1日、私の誕生日です(笑)。
自社でインターネット事業を運営する中で得たノウハウを、企業向けに提供するために2001年に「プランニング事業部」を設置しました。
ここでは、クライアントのバックヤード業務全般をワンストップサポートしています。
物流はグループ内で対応し、アカウント営業、コールセンター管理(フルフィル)、クリエイターやデザイナー、コーディング対応スタッフなどが揃っています。
EC自社運営とECクライアントサポートを両立させたEC事業が企業ドメインです。
社長になるまでの経緯
昔から経営者になりたいという思いはありました。
国内の自動車会社で26年、海外の自動車会社で6年経験を積み、2013年7月にマーケティングパートナーに入社してから、もう12年経ちました。あっという間でしたね。
― マーケティングパートナーに入られたご理由をお聞きしてもよろしいですか?
実は、前職の国内の自動車会社時代の親友がSBSの役員で、マーケティング担当者を探しているという話がありました。
子会社でいろいろあったタイミングで、「前から会社経営をやりたいと言っていたよね?」と声をかけてもらったのです。
― 最初はどの様な形でジョインされたのですか?
2013年7月に顧問として入社し、3カ月後に統括部長、翌年4月に役員、そして2015年から社長に就任しました。
本当はすぐ社長をやらせてもらえるのかなと思っていました(笑)。
統括部長としては、前職で培ったブランドの知見を生かし、ペット事業のブランド戦略を立案しました。
ブランド戦略は利益に直結します。たとえば、2割のロイヤルカスタマーから8割の利益が得られると言われています。
「POCHI」「tama」については、ブランドの皆の頭の中にあったものの可視化されていませんでした。
そこで2カ月かけてブランド概念の可視化を行いました。
POCHIのブランドアイデンティティーを言語化し、ロゴを整え、タグラインや行動指針、数年後のビジョンまで全て作り上げました。
そのノウハウを活かし、翌年4月に「tama」を含めた新しいサイトをオープンしました。
その後、会社の売上は大きく伸び、10年で6~7倍になりました。
― 今では皆さんご存じですよね。
そうですね(笑)。最近は広告にも力を入れています。
本社とは売上と利益の目標が毎年設定されます。
利益を出すためには売上を伸ばすかコストを削減するしかありません。
売上を伸ばすには広告も必要ですが、使いすぎると利益が出ません。
そのバランスを考え、本社に当初目標に上乗せした「戦略的売上目標」を達成するため「戦略的広告費」を別予算にしてほしいと交渉し実行しています。
― 確かに、この業界では広告費は大きいですよね。
そうなんです。実はPOCHIやtamaではあまり広告費を使っていませんでした。
広告はATL(Above the line)、プロモーションはBTL(Below the line)と呼ばれますが、当初はTL中心で行っていました。
私は広告に多少懐疑的な部分もありましたが、ある時点でATL広告を取り入れたところ、売上が大きく伸びたのです。
人生を変えた経験・出会い
私をここに誘ってくれた彼との出会いが大きかったです。
彼とは大学は同じでしたが、入社するまで接点はありませんでした。
当時、大学別のリクルートチームがあり、そこで一緒に仕事をする中で仲良くなりました。同い年で、それぞれ付き合っていた彼女も1歳下。
彼女を同じタイミングで紹介したら、二人も直ぐに仲良くなったのです。
入社翌年、私は10月に結婚、彼は11月に結婚しました。私がフィジーに新婚旅行に行くと言ったら、「あ、そこいいな!」と言って、彼も同じ場所に行ったのです。
子どもたちも生まれ、家族ぐるみの付き合いになりました。
子どもたちは「従妹だと思っていた」と言うくらいで、親戚よりもよく会って仲が良いです。
彼は非常にダイナミックな人物で、ある大きな提携案件をまとめ上げました。
新しく来た社長から「出世させるからここに行け」と言われても、それを断って、海外の投資会社と日本再生を目的にファンドを立ち上げましたが、リーマンショックで頓挫。それでSBSの方にお世話になったのです。
私自身も1社目の転職の際に彼に相談しており、今の会社に来るときも「どう?」という話があり、面白そうだと思って挑戦しました。
やはり、人生で大きいのは人との出会いですね。
会社に入ってからも、人との出会いは重要です。
― 全て出会いがきっかけですね。
そうですね。私は1浪して予備校に通っていましたが、その時に知り合った人の友人が同じ学部に入学することになり、入学式の日に校内で会いました。
それ以来仲良くなった友人とは、今でも付き合いがあります。
彼は有名な音楽関係会社のCEOを務めた後、現在は音楽財団の理事長を務めています。
MPCに入社して、仕事でも接点が出来ました。
本では、吉川英治の『三国志』に感動しました。
劉備玄徳は農村の出身でしたが、母親から「自分は劉邦の末裔」と言われ、「貧乏で一生終わるわけではない」と知ります。
彼は一人で立ち上がり仲間を集め、出会いを大切にし、蜀の国を作るという物語です。
余談ですが、劉備玄徳が大好きになり、息子が同じ誕生日の6月1日に生まれたとき、「玄徳」と名付けようとしましたが、大反対され(笑)、結局自分の名前から“真”を取って真太郎にしました。
経営者として大事にしているポイント
私は「ネバー・ギブアップ」という言葉が大好きです。
諦めなければ、負けることも、終わることも、失うこともありません。
自己紹介の際にも、必ずこの言葉を伝えています。
もう一つ大事にしているのは「平等」です。これは本当に難しいです。
あちらを立てればこちらが立たず、という場面が多々あります。
社長は、最後は自分で決めるしかありません。
どうしても決断しなければならないときには、平等であること、そして誰が見ても正しいと思えることを基準に判断するのが、一番だと思っています。
一緒に働きたい人材
私が一緒に働きたいのは、「真面目な人」、「チャレンジ精神のある人」、「コミュニケーション力のある人」です。
「真面目」というのは、遊びに対しても仕事に対しても、人生に対しても真面目であるということです。
入社案内でもよく話すのは、EQ(心の知能指数:Emotional Intelligence Quotient)です。IQ(知能指数)は先天的でほぼ変えられませんが、EQは後天的に努力して高められます。つまり「人間力」のことです。
周囲が「あの人と一緒に仕事をしたい」「あの人の言うことなら聞こう」と思えるような説得力を持つことが重要だと伝えています。
次に「チャレンジ精神」ですが、本社SBSホールディングスのオーナー創業者である鎌田正彦を例に挙げます。
彼は宮崎の高校を出て東京に来て、裸一貫から佐川のドライバーを5年間経験した後、会社を設立しました。
現在、売上は4,500億円を超えています。
彼はいまだに「SBSはベンチャーだ」と言います。
大きくなった今も、ベンチャー精神を忘れたら企業は衰退すると考えており、社内ではチャレンジスピリットのことを「ベンチャースピリット」と呼んでいます。
入社式で新卒社員にも「ベンチャースピリットを持ち、何かに挑戦する力を身につけてください」と伝えています。
最後に「コミュニケーション力」です。
これは、単に話す力だけでなく、説得する力や聞く力も含みます。
自分の意見をうまく伝えられないときは、まず相手の話を聞くことが大切です。
相手の話をよく聞いて、お互いに理解し合うことで、信頼関係やストローク(心理的交流)を築くことができます。
そのためには、相手をリスペクトする姿勢が不可欠です。
2020年のコロナ禍には閉塞感がありましたが、それを打開するために「2030年目指すべき姿」を策定しました。
また、PCM評価(Performance:業績、Competency:能力、Management:マネジメント)という評価制度も導入しています。
パフォーマンスは目標達成度、コンピテンシーは会社が求める行動やスキルを評価するものです。
ただ、コンピテンシーすべての項目を覚えて実践するのは難しいので、行動指針として3つのキーワードにまとめました。
・プロフェッショナルとして行動する
・何でも挑戦する(チャレンジ)
・お互いを尊敬し、相手の意見に耳を傾ける(リスペクト)
この3つを意識すれば、コンピテンシーを実践できるようにしています。
さらに今年、ロゴも変更しました。マーケティングパートナーの「パートナー」=人=「 i 」は、逆さにすると感嘆符「!」になります。
この3つの「 !i! i!i」を上からなぞると、マーケティングの「M」となります。
色にも意味があり、ブルーはMPC、オレンジはGPN、赤はSBSを表し、3つが融合するイメージです。
このロゴは社内コンペで選ばれ、社員30人が参加しました。
名刺デザインも含め、すべて社内のデザイナーが制作しています。
今後のペット事業の展望
やはり少子高齢化の影響もあり、ペット市場はまだまだ伸びると思っています。
子どもが少なくなる分、ペットを飼おうという家庭が増えています。
犬の数は減少傾向にありますが、子どもの減少のほうがはるかに大きいため、ペット市場は今後も安定して存在するでしょう。
ペットに良い食事を与えることで、寿命を延ばすことも可能です。
現在、tamaでは「cat life 30」を標語に掲げ、猫を30年生きさせるような食事を提供することを目指しています。
自社オリジナル商品を通じて、ペットの寿命を延ばすことに貢献したいと考えています。
また、POCHIのブランドアイデンティティー(BI)の中心キーワードは「ポチの幸せ」です。
いかに犬を幸せにできるかという点で、事業として社会に貢献できることが重要です。
― 社長に就任されたときのお気持ちは?会社を引っ張っていかないといけないという覚悟はありましたか?
実質的には、入社したときからすでにその気持ちはありました。
社長就任後はその気持はますます高まりました。
― 実際、社長になって一番難しかった部分は?
社内にはさまざまな不満がたまっていました。
入社3か月して全員と30分から1時間の1on1面談を行い、その声をもとに人事制度を見直しました。
そして、一時金制度を導入しました。
翌年から年間目標を過達成した場合に支給する「決算賞与」を導入しました。
決算賞与は年2回の通常ボーナスとは別の「3回目のボーナス」です。
11年間運用してきて、支給されなかったのは一度だけです。
1人あたり20万円が支給されます。
― 社員のモチベーション向上のために、ご自身で考えられたのですね。
はい。モチベーションが上がれば業績も上がりますからね。
本社の承認も得られました。目標を達成すれば自分に返ってくる仕組みですので、不平不満は出ません。
人事制度ですが、以前は給与が翌月支給で、7月入社の場合は8月25日に初めて支給されるという状況でした。
残業も固定で70時間でしたが、残業代は出ませんでした。
これもすべて見直し、基本給は当月支給、残業は翌月支給としました。
固定残業も10時間に変更しました。
さらに、先ほど紹介したPCM評価制度を導入し、透明性や多様性を判断基準にしています。
「PCM評価に基づいた評価制度」と「決算賞与」を支給することで、公平性とモチベーションの向上を両立させています。
― 今は従業員100名を超えたんですか?
派遣社員を含めると、100名を超えます。
さいたま市岩槻に「ペットウェルネス・クリエイティブセンター」を作り、3,000坪の倉庫を1棟借りてドライフードのリパック作業を行っています。
その作業には派遣社員が多く、20名ほどいます。
― 正社員だと何名ですか?
正社員は70名くらいです。
― 従業員が100名もいたら、お誕生日会も大変ですよね。一緒にご飯に行ったりしているのですか?
はい、社長が奢る「誕生日ランチ」を行っています。多い月だと8人くらいいます。
基本は個別で行きますが、忙しいときはまとまって行くこともあります。
― 社長自ら社員の誕生日を祝う企業って、あまりないですよね。
そうですか? コロナ禍の3年間はやめていましたが、復活させたので引けなくなりました。
100名を超えると、稼働日が年間約240日ですから、半分くらいが誕生日ランチになってしまいますね。〔笑〕
― 社長はなぜそこまで社員のために動けるんですか?
それは、社員がちゃんと働いてくれるからです。
社員のモチベーションが上がり業績が良くなれば、最終的には自分にも返ってきます。
ちなみに、私自身は決算賞与をもらっていません。
執行役員はもらっていますし、誕生日ランチにも誘っています。〔笑〕
― まず人を大切に考えているんですね。人が育てば、企業も自然に育っていく、と。
そうです。業績が上がれば利益が出て社員の給料も上がります。
社員も幸せになり、会社全体が楽しくなります。
私自身もちゃんと給料をいただき、社長を続けられる。もうそれだけで十分ですね。
― 普通であれば、売り上げが下がってきたら「電話営業をやれ」「営業に行け」と指示すると思いますが。
気合いだけでは人は動かないし、何も変わりません。
社員が会社のために動くには、仕組みを提供してあげる必要があります。
アメとムチと言うと語弊がありますが、要はどうやってモチベーションを上げるかが大事だと思っています。
― SANIMEDは3年間赤字でしたが、推し進めようと思った要因は何ですか?
単月では3年目に黒字になり、6年目で累損を解消しました。
始める前にいろいろな人に相談しました。
ペット保険会社の知り合いなどにも相談しましたが、全員に「絶対やめておけ」と言われました。
それでも成功させたいと思い、本社には「3年間は赤字になりますが、4年目から黒字にするので続けさせてください」と伝えました。
本社との経営報告会「経営協議会」で毎月報告していましたが、3年間は毎回「どうするんだ? いつやめるんだ?」と言われ続けました。
今ではGPNの利益の柱になっています。
― 3年目から4年目で、何が変わったのですか?
「動物病院専売」という新しい販売方法が理解されてきたためです。
他社製品は、最初獣医がペットオーナーに勧めても、2回目からは安売りECサイトで購入してしまい、動物病院から離れてしまします。
SANIMEDは専用ECサイトでしか購入できず、マージン及び購入履歴情報はペットオーナーが登録した動物病院に入る仕組みにしています。
つまり、永続的に動物病院から購入しているのと同じとなります。
― そもそもSANIMEDに取り組もうと思った理由は?
2015年に初めてGPNとしてインターペットに出展したときのことです。
初出店なので出展費を抑えるために普通は簡素なブースを作りますが、私たちは立派なブースを作りました。
結果、2コマしかない小さなブースでしたが目立ったのです。
するとある外国人が来て「いいブースだね」と評価してくれました。
そして彼から、SANIMEDを日本で販売してくれないかと誘いがあり、取り組んだ訳です。
― 今年のインターペットは如何でしたか?
MPCではPOCHIとtama、GPNではカナダから輸入しているNOW FreshとGO! Solutionで出店し「ワン・バイ・ワン」というキャンペーンを実施しました。
1個買うと1個プレゼントするというもので、1キロの商品を買ってもらうために、3割引きや半額にしても通常は1個しか買いません。
しかしワン・バイ・ワンなら2個買うことになるので、1キロが1カ月分だった場合、2カ月分食べてもらえることになります。
長く食べれば、定着率も高まるという考え方でした。
― 反響はよかったですか?
はい、よかったです。MPCもGPNも、売り上げが結構上がりました。
― インターペットはすごい祭典ですよね。BtoCですが。
そうですね。欧米の展示会と違い日本の場合来場者の80-90%はBtoCです。
欧米の展示会はフードメーカーがたくさん出店しますが、日本では少ないので、BtoCも取り込まないと展示会が成り立たないのです。
― 社長がこれまで実績を出されてきたコツは何でしょうか?
コツですか…。実は特別なコツはなく、「最後まであきらめないで、一生懸命やる」ことだけだと思います。
若い頃、最終電車で帰宅して、翌朝6時に出社するという生活を毎日3年間続けたら、さすがに体を壊しましたが。〔笑〕
今では考えられませんが当時は残業代も出ません、それがモーレツ社員の典型でした。
新車発売のプロモーションでは発売日が決まっているため締め切りが厳しく、とにかく仕事が多かったのです。
入社当初は2カ月間の研修で工場実習があり夜勤も経験し、2年目にはディーラーに出向して1年半、実際車を販売してきました。
100台を販売し、社長賞もいただきました。
40歳半ばに差し掛かったころから海外部門に異動し、ブロークン英語で仕事をしました。
そして50歳になる年に海外自動車会社に転職しました。
こうしたいろんな経験を糧にし、頑張ってきたから現在があると思っています。
特にコツはありません。
ただ単に我武者羅に「Never Give Up!」の精神でやってきた結果が、今に繋がっていると思っております。
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