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経営者取材

社長取材#17,株式会社ペイク 野中英樹

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PT編集部

本日は株式会社ペイク代表取締役社長・野中英樹様にお話を伺います。野中社長、よろしくお願いいたします。

ペット事業の内容

実はバブル崩壊前に一戸建てを手に入れたのですが、1992年頃に売却し、その資金で新しい事業を模索しました。
当時、不動産業や建設業の方々がバブル崩壊で大きな打撃を受けており、そうした方々に「ペット共生型マンション」を提案したのです。
今では当たり前となっているエントランスホールの足洗い場や、ペットの排泄物を処理できるシューターなどを、最初に手掛けたのは当社です。
例えば足洗いシャワーにしても、大手メーカー製は使いづらくトラブルが多かった。
そこで、動物の習性を踏まえ、水を飲める器を備え、下から小川のように水が流れる仕組みにしました。
1日2回の散歩後、飼い主がスマートにケアでき、抱き上げて部屋に戻れるように工夫しているのです。
犬を飼っている方ならお分かりだと思いますが、散歩後にそのまま抱くと飼い主の服が汚れてしまう。
だからこそ、部屋に入る前にきちんとケアできる設備が必要なのです。

― ダストボックスも備え付けられているそうですね。

はい、それは1994年に発表しました。その他の設備についても特許を取得し、現在では36件ほどになっています。
当時は日本における知財リテラシーが低く、平気で模倣されることもありましたが、弁護士からは「大企業が真似したら、記者会見で訴えればいい。世間の目が厳しいので、相手企業は大打撃を受けるから大丈夫」と励まされました。
結果的に、当社のモデルは全国で約5,000戸に広がっています。

― やはり都市部が多いのでしょうか。

はい、首都圏や関西圏が中心ですが、九州や福岡、沖縄まで展開しています。
中でも「ペットケアマンション」が最も多いですね。
Googleで「ペットケアマンション」と検索して画像を見ていただければ、共通したデザインのフェンスなどをご覧いただけます。
当社は全てオリジナル設備で特許化している点が違いです。

―大型犬対応のマンションもあるのですか。

もちろんです。立地条件が悪い物件では、1階を全て大型犬対応にしています。
不動産は立地によって成否が決まるので、投資物件として利回りを確保する「バランス」が重要なのです。
例えば、朝6時半に飼い主が散歩を終えて帰宅後、わずか3分程度でスマートにケアを済ませて出勤できる、そんな暮らしを実現するための設備を整えています。
設備を入れることでルールを守る文化が生まれ、コミュニティも育まれる。
そして20年住み続ける方もいるため、空室が出にくい希少物件としての価値も維持されるのです。
当社はこの分野で30年以上、累計5,000戸を手掛けてきました。
まさに「お家芸」と言えるでしょう。
最近では、不動産再生やリノベーションを専門とする企業が新たに加盟し始めています。
1棟物件を安く購入し、当社仕様にフルリノベーションして投資家に販売、自社で管理を行うというモデルです。
新築需要は減少傾向にあり、2025年を境にリノベーションで価値を高める時代に入っていくと考えています。

― そもそも、ペット事業を始められたきっかけは何だったのでしょうか。

まず根底に「ペットが好き」という気持ちがありました。
先ほど申し上げたように一戸建てを売却した後、ペット共生型マンションの構想を思いつきましたが、実現には大変苦労しました。
ゼネコンとして建設する方法もありましたが、それでは地域限定の事業になってしまう。そこで、管理会社「アドホック」を設立しました。
1994年、インターネット黎明期のことです。
当時は海外帰りでペットを飼う人が増えていましたが、ネット検索環境はまだ整っていませんでした。
当社のホームページでなければ、ペット対応物件を探せないという状況だったのです。

― かなり先手を打たれていたのですね。

そうですね。アメリカでの経験が役立ちました。
30年以上前のアメリカでは、既に「ペットは大切な家族」という感覚が浸透していました。
また、日本とは違い、土地より建物に価値を置く文化もありました。
滞在中はブルースやジャズのライブバーに通っていましたが、よく「日本人はなぜプレハブ住宅で満足しているのか」と説教されましたね。
「うちの家は200年もつ。明日見に来い」と(笑)。

― 英語はもともと得意だったのですか。

洋楽が好きで、ディープ・パープルやローリング・ストーンズ、エリック・クラプトンなどをよく聴いていました。
ただ、話す英語は典型的な“ジャパニーズ英語”でしたね。
今でも外国人旅行者が「シブヤステーション、ドコ?」と話すような感じです。
ただ、必死に話せば相手も一生懸命聞いてくれるし、分からなければ行動で示してくれる。
そういう文化なので、全く問題ありませんでした。

― ペット事業に「コンサル」という発想を取り入れたのはなぜでしょうか。

当時、水先案内人のようにペット事業に精通した顧問がいてくれれば良いと思っていました。
自分は30歳前後で、「アメリカがくしゃみすれば日本が肺炎になる」といった経済図式すら理解していない段階でしたから。
現実にはそうした人材はいなかったので、自分でアメリカに飛んで学ぶしかなかったのです。
とはいえ、顧問やコンサルがいれば本来はもっとスムーズに進んだでしょう。
結果として、上場には至らなかったものの、上場に準ずる規模の会社を築き上げたことで、私の話に耳を傾けてくれる人が増えました。
社会課題を踏まえ、6,500億円規模のペット市場を1兆円規模に拡大させるには、住宅問題を解決することが不可欠。
その中で自分が貢献できれば、一財産を築けるという考えは、当時の事業計画にも盛り込んでいました。
幸運だったのは、ノウハウライセンスに強い弁護士と出会えたことです。単なるコンサルではなく、フランチャイズ型のノウハウライセンス事業それが【アニマンネットワーク】の仕組みです。

― 貴社の一番の強みは何だとお考えですか。

「今存在しないビジネス=社会課題の解決」という視点を常に持って取り組んできた点だと思います。

― 「ゼロイチ」が得意領域ですね。

そうですね。例えばテレビCMを見ていて「人間用の商品」があれば、「これはペット用に応用できる」とすぐにスマホにメモを取ります。
そうして積み重ねたアイデア帳を、暇な時に膨らませたり削除したりもう30年以上続けています。
近年、日本では「ノウハウ」という言葉が軽く扱われがちですが、アメリカでは「価値ある秘密情報」として金銭的価値を持ちます。
本来10万円の家賃が12万円に上がり、それが30年間維持され、トラブルが起きないその秘訣こそが「ノウハウ」です。
大手企業の「ペット可」仕様と当社の【アニマン】は、似て非なるものなのです。

社長になるまでの経緯

― そもそも、なぜ起業を志されたのでしょうか。

もともと20歳の頃に「高貴な人になりたい」という夢がありました。
僕は「どんなに努力しても手に入らないもの」を夢と定義していたので、実際には叶わないと分かっていました。
一方で「目標」は努力すれば達成できるもの。
家が欲しい、アウディが欲しい、ロレックスが欲しいそうした欲を一つひとつクリアしていく中で、「30歳までに起業したい」と20歳の頃から口にしていたのです。
たまたま23歳から28歳まで、アパートやマンションを建設するゼネコンで営業職に就きました。
頑張れば頑張るほどインセンティブが得られる環境で、その結果、26歳で一戸建てを手に入れることができました。
詳しく話すと長くなりますが、その家を安く購入し、高く売却して得た差益(利ザヤ)を起業資金に充てることができたのです。
当時はベンチャー企業に金融機関が一切融資してくれない時代でした。
だからこそ、自分で投資して、1年ほどでキャッシュを生み出さなければ事業を継続できなかったのです。

人生を変えた経験・出会い

― 今までの人生で、特に大きく変わった経験はありますか。

25、6歳のときにアメリカへ行ったことです。
日本では住宅問題がボトルネックになっていると気づき、「ペット共生型マンション」というビジネスモデルに全財産を投じました。
妻は心配して、「そんなに特許ばかり取って、本当にお金になるの?」と言いました。
その言葉は、僕の死の間際に真っ先に思い出すのではないかと思います。

― 今では奥様も喜んでいらっしゃいますか。

はい、今となってはそうかもしれません。
1994年に四畳半一間から起業したアドホック株式会社は、上場できなかったですがお陰様で本社を東京へ移し、恵比寿のプライムスクエアタワーに拠点を置き、事業は拡大、発展。
『ガイアの夜明け』にも取り上げていただきました。
ペット業界では珍しいことだと思います。
動画もありますので、ぜひご覧ください。

その後、アドホック株式会社をバイアウトして「ペイク」を立ち上げました。

― 上場はしなかったのですか。

アドホック株式会社は上場できませんでした。
当時、監査法人を入れ直前3期まで進みましたが、主幹事証券会社からベンチャーキャピタル(以下VCという)より2億円調達(埼玉県とあさひ銀事業投資より6500万円調達)できず結果的に、上場を断念したのが2000年でした。僕の描くペット共生文化に対し同調するVCはいなかったが正解です(笑)。当時の日本ではゼロイチで上場準備を成し遂げた人は数えるほどしかいません。
その意味で、自分の上場に準ずる企業を育んだ実績として価値があると感じています。


― 上場を目指さなかった理由は

子どもがいなかったこともあり、何代にも渡って会社を続けることは考えていませんでした。起業したら上場するか東証一部上場企業へバイアウトするか二択しか考えておりませんでした。また、渡米時代の影響もあり、米国が風邪をひくと日本は肺炎になる・・・社長業は個人保証が伴いますから、わずか2,000万円の報酬で2億円の連帯保証を背負うのはリスクが大きすぎますよ。(笑)
今は一部のビジネスモデルで知財をきちんと押さえていれば、プロジェクトファイナンスで事業を進められる時代です。

― 人生に影響を与えた出会いはありましたか。

京セラの稲盛和夫会長との出会いです。
毎年、年初にパレスホテル東京で開催される日本経営合理化協会のセミナーで、経営者二世の方々が3日間宿泊する機会があり、講師として招かれました。
当時、テレビにもよく出ていましたが、ベンチャー企業の社長を紹介したいとのことでお受けしました。
2時間みっちり話した後、上等なソファのある部屋に通され、15分ほどお話を伺いました。
稲盛会長は「今後は利他の心得だ」とおっしゃったのです。僕が45歳のときでした。

その後、穴吹工務店の穴吹社長からも声がかかりました。
「2年間うちに来てほしい。サーパスシリーズから分譲マンション、賃貸、リゾート、全てペット対応にするので、顧問として力を貸してほしい」と。
顧問やコンサルとして、企業が利益を上げるために自分の知恵やノウハウを出し、会社が成長する喜びを感じました。
ここで稲盛会長の「利他の心得」が効いてきました。

― 稲盛会長に出会わなかったらどうなっていたと思いますか。

バイアウトで資金もあり、不動産投資も好きですし、悠々自適に暮らしていたかもしれません。
しかし、稲盛会長の「利他の心得(利は他人にあり)」の言葉があったからこそ、ペイクでの顧問コンサル業に邁進することができ、芯を持って事業に向き合えたと思います。

― ペットとの出会いは。

妻が「この子と出会っちゃった、飼ってもいい?」と言って迎えたのが、シーズーのオス「ショウタ」です。
18歳と1カ月まで生きました。亡くなって10年経ちますが、今も永遠のペットロスです。
私は自分でトリミングをしていました。
トリミングテーブルもDIYで作り、庭で行っていました。
アメリカでは、ペットケアショップがチェーンとして整備され、消臭機能もしっかりしていてにおいが全くありませんでした。
当時のカリフォルニア州では店舗での生体販売は禁止されていましたが、将来的には日本でも同じ流れになるだろうと考えました。
ビバリーヒルズの富裕層が保護犬を飼うことがステータスになっていたことも印象的でした。

― ドッグランなども視察されたのですね。

はい。サンフランシスコ近郊マリン郡の別荘地では、富裕層は資金を出し、一般の人は労働で参加する仕組みでバランスの良いドッグランを作っていました。
また、ロサンゼルスでは電力会社が地役権を活用してドッグランを作り、ナショナルブランドの広告収入も得ていました。
ニューヨークのマジソンスクエアパークでは、猫の侵入で公園が荒れた際に、動物行動学の教授の助言でドッグウォークを導入し、地域住民が戻ってくるように改善されました。私は教授にワインを持参しましたが、「安いワインだ」と笑われました(笑)。

経営者として大事にしているポイント

― 経営者として大事にしていることは何ですか。

孔子の『論語』にある仁・義・礼・智・信(五常)をベースにしています。
人は「どう感じるか」が大切なので、礼に始まり礼に終わるのは当然です。
「仁・義」は人としての基本的な行い、「智・信」は自分の知識や経験を社会に還元することで信用につながると考えています。
もともと『論語』が好きで、「子曰く 吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。」を自ら実践してきました。

・29歳で起業し、30歳で自立。
・40歳で惑わず。
・50歳で「一般社団法人 犬と住まいる協会」を立ち上げ、天命を知る。
・現在61歳で「六十にして耳順う」。周囲の意見を聞きつつも、自分の判断で善悪を決められる段階です。
・70歳でようやく「大成された人」となるイメージです。

― 具体的にはどのような取り組みをされているのでしょうか。

60歳を過ぎてからは、廃校舎を活用し災害時のペット二次避難所を作るプロジェクトに取り組んでいます。
平時はドッグランとして活用し、ペットIDや予防接種情報も一元管理できるようにする計画です。
全国47都道府県で展開を目指しています。
予算は国が半分、残りの半分を関係自治体で負担する形にしました。
平時は避難所体験やペット同行避難の訓練などを行い、費用を抑えつつ回していくPFI型の事業計画です。

― 全国展開の仕組みはどのように。

【ペットステーション】は、公益社団法人がプロデュースします。【アニマン】と同様に、作り方マニュアルや設備などをパッケージ化。
地元の設計事務所がマニュアルに従い、建設会社が入札して建設。
管理運営も公益社団法人がセンター長の指導・研修を行う形です。

― 素晴らしい取り組みですね。

これにより、将来的には紫綬褒章を受章し、20歳に掲げた「高貴な人になる」という目標を実現できるかもしれません(笑)。
ペット業界では、まだ紫綬褒章を受章した人はいません。
また、片山さつき参議院議員には、動物愛護議員連盟の集会で本プロジェクトを周知していただきました。
補助金や交付金の手続きも、内閣官房参事官の方が「書き方から何までうちのスタッフが教えます」とサポートしてくださいました。
2022年から始めて3年。妻も心配していましたが、「片山先生と写真を撮った」と伝えたら何も言わなくなりました(笑)。
利益は大きくありませんが、地方創生として意義のある事業だと感じています。

一緒に働きたい人材

― 一緒に働いている社員の方はどんな方ですか?

実はうちには正社員はいません。皆フリーランスでコンサルをしている人たちです。
もともと不動産コンサルティング業界はフリーランスが多く、彼らが僕のことを「師匠」と呼んでくれています。
僕のほうから「今こういうプロジェクトがあるから手伝ってほしい」と声をかける形です。
中には、『ポチたま』という番組に出演していた芸人の松本秀樹さんもいます。

― その方とはどのようなつながりがあったのですか?

一般社団法人「犬と住まいる協会」を立ち上げた際、講演イベントで面白い人を呼ぼうという話になりました。
松本さんは番組で犬を飼っている家庭を訪問していた経験があり、3周年記念のパネルディスカッションにお招きしたのがきっかけです。
また、防災士や愛玩動物飼養管理士などの資格を持っているので、ビジネス面も学んでもらえるだろうと考えています。

― 現在、何名くらいですか?

アニマンのメンバーとコンサルタントを合わせると、12〜13人。
北海道から関西までいますが、やはり首都圏が多いです。
各自それぞれ個性があり、もとはアンダーセンに勤務していた経歴の方もいます。
緊張して本来の力を発揮できない人もいます(笑)。
ベンチャー向きのタイプなど、さまざまです。

― どのように人材を見つけているのですか?

ほとんどは向こうから声がかかりますが、こちらからも「こんな人がいたら紹介して」とお願いすることもあります。
「僕みたいになりたい」と言ってくれる人もいます。
ほとんどのメンバーは自宅でリモート勤務。
たまに食事会を開いたり、一緒に出張して交流したりしながら仕事を進めています。

今後のペット事業の展望

― 野中社長の今後のペット事業の展望をお伺いします。

今、ペットコンサルという分野では、やはりうちが先頭に立っています。
「僕を目指したい」と考えるコンサルタントの方々に、どんどんつなげていけたらと思っています。
僕自身、もし仕事を辞めても不動産や資産運用で生計は立てられます。

しかし、講演で金銭的な話をすると「ペットでお金をもうけている」と批判されることもあります。
動物保護関係の方々も講演会の場に来ることがありますが、そういう方々にはいつも「たかるな」と伝えています。
動物保護活動自体が悪いわけではありませんが、「なぜ寄付をしないのか」と意見されることもあるので。

ペット事業自体は今後も継続していきたいです。
【アニマン】は現在5,000戸まで広がっており、早く1万戸に達することを目指しています。
最近では阪急阪神不動産さんや、山梨で100年以上続くゼネコンさんなど、新たな企業も進出してきています。
これからさらに棟数を増やせば、累積戸数も拡大し、理想的な展開が見込めます。

― 素晴らしいビジネスモデルだと思います。

ただ悩んだ時期もありました。
今でも週に2〜3件、「うんちシューターや足洗い場だけ売ってほしい」という問い合わせがあります。
「ネットワークに加盟して教育を受けてください」と伝えると、電話を切られることもあります。設備だけ欲しいというニーズですね。
簡単に言えば、それだけで2〜3億の建築受注につながります。
ですが、理念なき経営のゼネコンや不動産業者に安易に売ってしまうと、賃料が下がったり、ペット共生物件ではなくなったりしてしまいます。
30年間それを避けてきたからこそ、高値安定が実現でき、「あの足のマークのついた物件、野中さんが30年前にやったんですか?すごいですね」と言っていただけるのです(笑)。
ペット共生住宅の投資家には、「良質な住宅を増やさないとペットマーケットは育たない」と考えてもらい、我々も切磋琢磨するのみです。
セオリーとして「足洗い場」「うんちシューター」「ドギーフック」「ドギーフェンス」はすべて当社オリジナルの特許製品です。
市販品を使うとビジュアルが良くないですが、うちはブロンズ・緑青・アンティークシルバーの3色で、ハウスメーカーやゼネコン、デザイナーの要望に合わせた提供が可能です。
アイデンティティーを大切にしているのも特徴です。こうして30年、100年と残る希少価値物件を作り上げてきました。
埼玉県川口市東川口の物件では、平均2LDKが7万6,000円のところ、28年間11万円で維持しています。
オーナーさんも「講演でよく『高値安定経営』と言っていますが、『永遠』も入れてください」と言ってくださいました。
リーマンショック、コロナショック、トランプショックなどにも影響されず、空室待ちの状態を作れているのはうちだけです。
大手には宣伝力で劣りますが、「骨のある仕事をしている」と評価していただける。
理解してくださる方に伝われば十分だと思っています。

 

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